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一覧へeco-café M I N Tニュースレターvol.8

ニュースレター投稿日時2017.01.28 11:31

つながりを

もってたのしく 

 

風月堂 

武笠 正明さん      

図1

 

 

 

 

創業40年の歴史をもつ風月堂の2代目。和菓子屋の若旦那として多忙に働く傍らで、町の役割を多く担う。商工会青年部長、町民祭り実行委員、社会福祉協議会監事、町教育委員を歴任し、現在に至る。

 

 

少年時代の楽しみ

「大人になったらサラリーマンになりたいと憧れがあったため、まったく家業を継ぐ気はなかった」と少年時代を振り返る。

父が和菓子の梅林堂の工場長を辞め宮代町で起業したのが3歳の頃。自営の家に育った自分は季節ごとの手伝いや配達を行い、休日に家族と遊ぶことがほとんどなかった。友だちが休日に家族と出かけていると聞くと、とても羨まく感じていた。

一方で、休日の一番の楽しみはボーイスカウトだった。この活動は、自分にとって良い経験をさせてもらえたと思っている。というのも、外で楽しく料理ができ、たくさんの魅力的な人との出会いがあり、そして、幅広い世代の方々と交流できて今の仕事にもいかされているからだ。

和菓子から文化継承

18歳で進路を選ぶ時に、ちょうど父の病気が重なり、和菓子の道に進むことを決心した。専門学校と横浜で修行を重ねた後、2号店を出店するタイミングで宮代町に戻ることになった。

指先が器用であったので、すぐに和菓子づくりの魅力に取り憑かれていった。この和菓子の魅力は日本文化や歴史との深い関わりがあることだ。例えば、柏餅は「柏の木は新しい芽が出るまで葉が落ちないので、子孫繁栄に縁起がいい」と考え、端午の節句に食べる習慣がうまれたこと、1歳の子どもに背負わせる一升餅は「重い餅でわざと転ばせて人生の苦労を予め行う」という意味が込められていることなど。つまり、和菓子一つ一つに大切な意味があり、和の文化を語る上で欠かせない媒体でもある。和菓子職人として、この日本の良き文化の継承が役割だと思っている。

しかしながら、今はケーキは好きだがアンコは嫌いという子どもたちが多い。そこで、誰もが親しんでもらえる商品として「こめていら」を開発した。これはお米の和菓子で小麦アレルギーの子でも食べられるようにと工夫した。(※ただ製造過程で微量の小麦が入ることもある)。ただ、開発にあたっては、お米の膨らませるのは非常に難しく1年間を要したが、こういう形で自分なりに和の文化を継承できればいいと思う。

つながりの中で私がいる

ところで、「こめていら」を開発した40歳前後が人生の中で最も苦労した。ちょうど商工会青年部部長だった頃になる。宮代町産業祭で青年部として縁日ブースの出店を決めたこともあった。縁日をなんとか成功させたいという気持ちはあったが、実際に動かすための人やお金がなく、正直どうするか困っていた。当時の福祉課課長の小暮さんに障害者施設につないでもらい、青年部と障害者の方が一緒に活動し、なんとか成功できた。今でもその活動が10年以上も続いていることはとても嬉しいが、その当時は必死にやっていたので深くまでは考えられていなかった。結果的に、精神障がいのある方の地域活動に貢献できたことはよかったと思う。

子どもの頃の恩返しでもあるが、今もボーイスカウトを続けている。この活動は、普通の学校にある先輩後輩の関係よりもずっと長く、子どもから私より上の世代まで幅広くつながっている。この幅広い世代間のつながりがあるからこそ、自分は商売ができるし、また、恩を返していけると思っている。

まだまだ、地域には困っている人、つながりがない人が多くいる中で、私なりにできることは何かしていきたい。ただ、もう人の上には立つ役割は勘弁してほしいというのが正直な気持ちだが、これからも「つながりを持って、そとで楽しく活動していきたい」と思う。

 

 

図2

↑ こめていら(MINTでも食べられます)

 

 

図3

↑ 学園台店店頭にて