違った世界を
楽しむ!
小野塚勉さん
杉戸町在住。埼東よみうりのレポーターとして活躍。カフェで行われるイベントへの取材に来て下さり、記事に取り上げてもらったこともある。
今回は、小野塚勉さんにお話を伺いました。埼東よみうりのレポーターとして、カフェでのイベントを取材していただいたことがきっかけでつながりが出来た方です。
【レポーターになったきっかけ】
レポーターを始めたのは、65歳からでした。昔から野球が好きで、少年野球の話題や結果などが見られる読売新聞の折り込み誌「埼東よみうり」も良く見ていました。その新聞広告にレポーターの募集をしているのを見つけました。もともと、外に出るのも好きではなく、人と話すのもそれほど好きでもなく、物書きなどしたこともない私でしたが、子どもに「何かやってみたほうが良いよ」と言われていたので、やってみることにしました。
まずは、編集部(埼東よみうり)の指導と、過去の記事を読むところから始まりました。地域でどのようなことが行われているのか、どんな人たちがいるのか様々な場所へ足を運び、多くの人に会い、助けられながら取材を進めました。
地域ごとにレポーター(担当者)がいるので、日々は個人で活動しています。月に一度、会社にレポーターが集合します。そこで、編集部の指導・指示を受け、集まったレポーター間の交流の場にもなっています。若い方や主婦の方、20年以上続けているベテランの人など様々な方がおり、そこで情報交換や、仕事のやり方を教わることが出来て視野が広がりました。そういった仲間たちがいることで頑張れていたと思います。
【モノが仕上がる喜び】
現役時代は、鉄道公団(現、鉄道・運輸機構)で鉄道建築の仕事をしていました。新幹線や在来線、とにかく全国の鉄道に関わっていました。鉄道を作るプロジェクトが5つ同時に進んでいる時には、とても忙しい日々でしたが、その分充実していたと思います。その後、建設会社勤務を経てリタイア。レポーターという全く違った世界で活動できたことを大変幸せに思っており、係わってくださった多くの人に感謝しております。
埼東よみうりのレポーターとして5年間、「明るい、楽しい、健全」であることをテーマに、昨年度まで行っていました。自分が感じたことを自分なりに表現できることは楽しいです。そして、多くの人に見てもらえることはうれしいです。モノを作って仕上がったものが目に見える。その楽しみは鉄道の完成と一緒なのかもしれないですね。
【大切なこと】
何事も、初めは夢中でがむしゃらにやりますが、徐々に追われてこなしていくだけ、やらねばならないにとらわれがちになってしまいます。ルールは大切ですが、そこからはみ出ることも大切だと考えます。周りに迷惑をかけない範疇で自分なりにやること、それを続けていくと良いものが生まれると思っています。自分なりのテーマを、常に新鮮なものを求めていきたいです。