一回しかない
人生を楽しもう
浜口悦子さん
↑ミントで取材した時の様子
20歳から鷲宮にある幼稚園に就職し、定年まで40年間勤めた。
定年後のセカンドライフをどのように送るかをリストにあげて、現在進行中で行動にしている。
今回はお客さんの浜口さんに取材をした。あるイベントから3年通い続けてくれる常連さんだ。
テーマとして「自身のライフスタイル」について伺った。
私のモットーは、
「一回しかない人生を楽しもう!」である。
鷲宮にある幼稚園で先生として、20歳から定年まで40年間勤めた。定年を迎える前に、働いている時にできなかった「やりたいことリスト」をあげた。歌舞伎、コンサート、映画や習い事などなど。今はリストを一つ一つ潰しながら、セカンドライフを楽しんでいる。退職した当初の頃は、先生という一目置かれる立場からその肩書きがなくなり、戸惑うこともあった。ただ、そんなことも人生の勉強になっていると思っている。これからの人生の目標は「自分を磨き、心豊かな人になりたい」と笑顔で話す。
40年間は山あり谷あり。
勤めている頃は、子供を預けて先生をしていることに対して文句を言われたことや、管理職になり責任に押しつぶされそうになったこともあった。ただ、そういう困難な時は必ずよい人との巡り合わせがあった。それは私にとって幸運だった。
もっとも影響を受けたのは、職場の上司の園長であった。私に働く女性として生き方を示してくれた人である。園長からは「人生を歩む上で色々な道をもちなさい」と教わった。結婚し家庭の中だけの世界でなく、趣味も仕事も色んな世界と繋がり、自分らしく生きることの大切さを伝えてもらえた。事実、夫婦間でも一人の人として尊重した生き方を大切にしている。他人からみたら不思議な関係かもしれないが、家では夫を苗字で呼び、自分は名前で呼ばれる関係である。自分が自分でいられたのは、夫のおかげ。私にとってはベストパートナーである。
今では経済的に自立している女性は珍しくないが、その当時はほとんどいなかった。私が選んだ人生ではあるが、年齢を重ねるにつれて先頭にたち決断を求められる苦しい立場であった。ただ、その時も「自分はこういう立場になれる人だから神様が選んでくれたんだよ」と励まされ、その言葉を支えに仕事を続けてこれた。定年間際には地域の子どもが減っていく中で、最後に園を閉じる役回りにもなった。長く働いてきた職場がなくなるのは寂しい気持ちであったが、最後までやりきれたと後悔はない。
いままでの積み重ねがあるから、
これからも大丈夫という自信を与えてくれている。「これからもいくらでも分かれ道はある。良いことも悪いことも受け入れる覚悟を持てば大丈夫」と思っている。今でも大人になった元園児たちやそのお母さん達とも飲みにいく機会があるが、いままでのつながりとともに、新しい出会いを大切にして「一回しかない人生を楽しんでいきたい」と思う。